センター通りの商店(80年代初め頃)
センター通りとは、現在の沖縄市(旧コザ市)の中央パークアベニュー通りの旧称であり沖縄本土復帰以前に米軍の間で通称となったビジネスセンターストリートの略称である。
米軍の軍人さんの間ではBCストリート(BC通り)とも呼ばれていた。
1960年代は、米軍の兵士を相手にした歓楽街として栄華を極め、米軍から許可をもらったAサインバーやキャバレー・クラブ等の店が軒を連ねて、通りには連日、兵士で溢れかえり週末ともなると人を掻き分けながらでないと歩けない程のにぎわいを見せていた。
Aサインとは
Aサイン(えーさいん: A Sign)は、本土復帰前の沖縄において米軍公認の飲食店・風俗店に与えられた営業許可証。
1953年に制度が発足し、米軍風紀取締委員会による衛生基準に合格した業者に与えられた。Aサインの「A」は「Approved(許可済)」の頭文字で、公認の店舗は許可証か「A」の表示を店頭に掲げて営業した。この制度の目的は沖縄の風俗・飲食店が米軍要員及びその家族の健康と福祉に脅威を与えないために、一定の衛生及び建築の基準に適合基準を設けることにあった。米軍の懸念は主に島内飲食店の衛生水準及び風俗店を介した性病感染にあった。
出典:wikipedia
そんなセンター通りの真ん中で育った自分の地元のお話だが・・・
小学生の頃、とても貧乏で(今でもそうだけど)親からお小遣いなんて滅多に貰うことはなかった。ほんのたまに数日分だと言って5セントをもらえることがあり、そんな時は近所の一銭町屋(駄菓子屋)駆け込んで魅力的な数多くの商品に目移りしながら貴重なお小遣いで何を買おうかと大いに悩んだものである。
1日に1セントづつ使って5日間もたすのか
それとも贅沢して5セントで買える欲しいものを買うのか、いつも小さな頭をフル回転させていましたね♪
当時は1セントで飴玉が3個買える時代でした。
それを沖縄の言葉で「1センしミーチ」と言います(^^)
だけど僕らには、月2回のボーナスの特別な日があった。
それは、軍人の月2回ある給料日(ペイデイ)の週末、日曜日早朝のことだ。
少し話がそれるが、当時はベトナム戦争の真っ最中で戦地へ発つ前の兵士達が、お金なんか持っていても戦死してしまったらしょうがない、生きているうちに楽しんでおこうとばかりにセンター通りや基地周辺の街で、給料でもらったありったけのお金を湯水のように使って豪遊を繰り広げていた。
兵士たちは、遊んで支払ったドル札の釣銭などで小銭のコインがポケットに貯まると、それをイヤがってポケットからコインを掻き出してその辺の道端に投げ捨てるのである。
バーやキャバレーの店主たちは、そんな小銭を道端には捨てさせまいと、店の出入り口付近に釣銭を捨てさせるためのお金のごみ箱として大きなバケツなどを用意して置いていました。
連日にわたりバケツには、ほぼいっぱいにコインがたまり
ペイデイの稼ぎ時には、一晩にバケツを何度もお替りする人気店もあったほどだ!
そんなバケツ銭がお店の売上に十分に貢献できたことは言うまでもない。
あの頃は、今では信じられないまるで嘘のようなゴールドラッシュさながらなクレイジーな時代だった。
ペイデイで狂うように遊んだ後には、通りには必ずといっていいほど兵士たちが投げ捨てたお金が落ちています。
そんなお金を拾うためにセンター通りの日曜の早朝には、近所の子供達でいっぱいで、噂を聞きつけて隣町の子供達も来ています。たまには、ドル札も落ちていて高額なお金を見つけることもしばしばありました。
自分も数回、1ドル札、5ドル札
そして一番高額だったのが20ドル札を拾ったことがあったなぁ~。
その時の歓喜はもう言葉では言い表せないほどの喜びだった。
お宝を探し当てた者はまさにヒーローそのもので、鼻が高かったのを覚えています。
大人が、コザからバスに乗って那覇まで行って映画を見て、帰りには沖縄そばを食べて、またバスに乗って帰ってきてもお釣りがあった。
1000ドルもあれば、石屋~(コンクリート造りの家)が建てられる時代でした(^^)
しかし、そんな拾ったお金をすぐにポケットに入れるというわけにはいきません。
落とし主が現れるはずもないことは分かっているが、とりあえず必ず交番に届けて約3ヶ月の取得物の保管期限を待ちます。
期限が過ぎて、晴れて自分のものになった時に堂々とそのお金が使えることをみんな知っていました。
使えると言っても、25セント程度までの小銭ならまだしも子供が1ドル以上のドル札のような高額なお金を持つことは出来ないし許されないので、ほとんどが親のものになってしまったけど、こんな時は親も好きなものを買ってくれた♪
当時の自分たちの遊び道具(グローブ・バット・プラモ・その他)は、全てそんなお金でまかなっていました。
今となっては、信じられないような貴重な思い出ですね(^^)
思えば当時のセンター通りは
今では考えられないような、まるで異次元の世界でした。
その他のエピソードは、また気が向いた時に書いてみたいと思います。
でわでわ…^^